私が糖尿病になり約1年が経過しようとしていた。
時は1998年、この年の大きな出来事は長野オリンピックだ。
世の中はバブル崩壊から徐々に景気が悪くなっていき1997年の山一証券破綻、就職氷河期と言われ不景気の足音が聞こえてきた頃である。
にもかかわらず、私たちのネットワークSEの仕事はありがたい事に多忙を極めていた。
出張天国
その当時はネット接続もADSLも光も一般の家庭にもまだ来ていなかったが、企業は光ケーブルのネットワークに移行し始めていたからだ。
幸いなことにネットワークSEは東京にしかおらず、地方で案件がある時は東京のSEが行って対応するため対応できる人員も限られていて私も全国を飛び回り多忙な日々を過ごしていた。
後にも先にもこの当時が出張天国だった。
何故かと言えば1998年の当時、携帯電話は個人で持っていたが会社からはまだ支給されていない頃、まだPCメールをモバイルでネット接続して見ることなんて出来ない。
だから一度、出張出てしまえば追いかけ回されることはないし、出張から帰ってくれば会社の机の上には電話メモの嵐だったが、会社に帰らなければメモを見ることはないので、モバイル環境が整っている今に比べ、出張中はずっと自由だった。
今では全く考えられないことだが、その当時は個人携帯に連絡するしかなく、会社の人も個人携帯まで公開しているのは数人、本当に緊急の場合でも、出張中の滞在ホテルを出張前に上司には伝えておいて、緊急ならホテルのフロントに伝えてもらうかFAXを送ってもらうかしか連絡手段がなかった。
22年後の2020年、4Gモバイル環境の整っている今はどうなっているかと言えば出張中でも関係なく電話で追いかけ回され、ホテルに戻ってもメールの返信が出来て、メールだけではなくVDI端末により仮想デスクトップ環境が構築され、何なら社内にいるのと変わりなく社内システムへの接続環境が提供されているため、出張中もホテルにいても関係なく心おきなく業務ができる。
心おきなく業務ができるというのはイヤミの意味を含めていて、何が言いたいかと言えば、22年前と比べIT環境の変化により、既に生産性は上がっており、2019年4月から政府の推し進める「働き方改革」など私たちの業種においては、もう効率化の余地が少ないと言うことだ。
労働者にとってどちらが幸せかと言えば、間違いなく1998年当時のほうが幸せだ。
だって出張中に業務が終われば、定時の終了時刻を待たずに飲みに行けたからだ。
時には15時前には飲んでいる時だってあった。
2020年の現在はと言うと、出張中飲みにも行かず、コンビニで弁当を買い、ホテルの部屋に戻ってメールチェック、問題があればその場でSkypeで電話会議、そして社内システムで受発注処理なんて芸当が出張先でも出来てしまう。
そうでない会社もいっぱいあるだろうが、私たちのような環境の会社がこれ以上効率化できるのだろうかと本当に思う。
こういう法律を決めているお役人の方々はこうした環境を使いこなしている民間の企業に対して業務の想像力が足りていないと思う。
便利なツールを持たされ、使えば使うほど勤務時間が伸びるのは当たり前だと思う。
だから私は企業に一律、勤務時間の縮小を迫る「働き方改革」には反対。
企業によってIT環境の整備には違いがありすぎるからだ。
本当にやりたかったこと
話が脱線してしまったが、私は糖尿病で入院し社会復帰してから、本当にやりたいことがあった。
何がやりたかったかと言うと「Webデザイン」だ。
自分でホームページを作ってみたかった。
ネットワークSEをやっていると思うことがある。
それは通信の自由と可能性。
逆に私が関わっているネットワークとは企業内の閉じたネットワークとは対極の考え方。
企業ネットワークは通信形態は拠点-拠点間またはセンター×N(マルチポイント)の通信。
インターネットは真逆、世界中を縦横無尽に飛び回れる通信が羨ましかった。
実際には通信といってもそれを決めるのはIP通信だし通信は裏方である。
通信を利用しホームページを表示させているのはブラウザ。
この頃は、ブラウザはまだNetscape Navigatorの主流でインターネットエクスプローラーはまだまだ主流ではなかった。(インターネットエクスプローラーはWindows 98から無償配布だった)
なぜNetscapeだったかと言えば、みんな使っていたから。
YouTubeなどまだ生まれていないころ、インターネット通信のほとんどはホームページだった。
ホームページを見るのは楽しかった。
まだ企業のインターネットも自由なこの時代。
ファイヤーウォールで制限も特につけていなかったし、今のように通信ログでだれがどのホームページを閲覧しているか追跡もされていなかったので「仕事中にWebを何でも見放題」だった。
何よりも家庭の通信はモデムによる通信が主流なこの時代、会社のネットワークで見るほうが圧倒的に早かった。
なので会社でちょっとエッチな画像なんかも平気で見ていたしダウンロードもしていた。
僕らが最初に見たポータルサイトはやはり「Yahoo!JAPAN」だった。
ここに行けば仕事中にニュースは見れるし、検索もできた。
自分の知らないことを誰に聞かなくても知ることが出来るのは楽しい。
そして毎日変化があった。
こんなエッチな画像がここに落ちてたぞとか、釣りが好きだから俺ホームページ作って見たとか言い出す奴が出てきた。
そうか、ホームページって自分で作れるんだ。私もやってみたい。
私がやるなら何か?・・・やっぱり自分の病気(1型糖尿病)のことを発信したい。
そうしたら、世間と感じていたズレを埋められるのではないかと思ったし、新しい仕事もできるのではないかと感じていたからだ。
そう思っても行動できなかった時点で私はその時点で中途半端だったと言うことだ。
本当にやりたかったら会社を辞めても、それをやるべきだろうから・・・
一つだけ言い訳をすれば当時は出張天国でそれなりに生活も充実していたし、それを辞めてまでという気にはならなかったのと糖尿病で転職なんて出来る訳無いなんて本気で思っていたから仕方ない。
訪れた転機
それは突然訪れた。
何かと言えば、インスリンを打たなくても大丈夫なことに気付いたからだ。
前々から認識していて確証は取れなかったが、インスリンを打たなくとも血糖値が下がるようにいつの間にかなっていたのだ。
たまたま、インスリン注射を持って行くのを忘れて、飲み会にそのまま参加、やけっぱちで注射も打たずお酒を飲んで散々、好きなものを食べてドキドキしながら血糖値を測定すると見事、正常な血糖値だったというのが事の発端。
ただし、それがアルコールによる血糖値の下降なのか、インスリンが分泌されていて血糖値が下降するのかの切り分けがついていなかった。
切り分けをするには、2つ検証をする必要がある。
検証をした結果、
①だと若干20㎎~50㎎/dlくらいの血糖値は下がるが、正常値までは下がらず。
②のアルコールを飲みながら食事をした場合、なぜか血糖値が正常値まで下がっているのだ。
メカニズムはうまく説明できないが、これは私にとって大発見だった。
なぜかと言えば、今まで毎食毎度運動をしなければならない私にとって、食事をすることで30~40分必ず歩くことは時間的制約になっていた。
朝は通勤、昼は昼休みを利用するのでそれほどの負担ではないが、特に夕食の後の運動は自宅に帰ってからの食事(大体22時過ぎ)をして運動することは大きな負担なのだ。
それがもし、アルコールを飲んだだけで血糖値が下がるのならこんな良いことはない。
これでやっと一息つける。
そう思ったら天にも昇る気持ちで楽になった。
糖尿病になってから、ずっと盆暮れ正月もなく3食毎に運動(ほとんど脅迫観念に押されてやっているだけ)をし続けていた私にとってこの出来事は画期的だった。
ましてや今まで断っていた飲み会も、趣味と実益を兼ねて参加できるのだ。
こうして、しばらく私は会社帰りに飲み会に行くか、実家で夕食を取る時は必ず晩酌をして血糖値を下げる方法を編み出し、しばしの休息を楽しんでいた。
アルコールを飲むと何故、血糖値が下がるのか
私はこの事象がなぜ起こるのかを主治医に聞いてみた。
主治医の見解はこうだった。
元々アルコールには血糖降下作用があるため、インスリン注射を打っている人のアルコール摂取は危険ということがある。
なので、アルコール摂取による血糖値の降下よりも、糖尿病発症から約1年インスリン注射を打ったことによって、一度は破壊されたインスリンを分泌するランゲルハンス島から極微量のインスリンが分泌されていると考えるのが普通だと言われた。
じゃあ、ちょっとは復活したのかと言えばそうでもない。
ハネムーンピリオドは期間限定
医者によるとメカニズムは解明されていないが、1型糖尿病患者では、まれにそういう事象があるとのことだ。
これを「ハネムーンピリオド」とか「ハネムーン期」と呼んだりするようなのだ。
要は新婚旅行程度で終わってしまうもの、期間限定なのだ。
イメージで言ったらこんな感じだ。
まるでマリオの無敵状態(インスリンが若干分泌されている)が終わってしまうようなものなのだ。
いつ終わってしまうものなのかは誰もわからない。
私の担当医はまたまた奇抜な提案をしてきた。
転職するなら今しかないかもね。
確かに・・・私は予定だにしていなかった転職を意識するようになる。
だって糖尿病を患っていながら転職するなんて聞いたことないから。
【つづく】