第9話 夜明け

私は26歳と12ケ月の27歳の誕生日を目前にして糖尿病になった。

健康に関しては自信があり病気とは全く無縁の私が病気になった。

しかも私の中でも一番なりたくない病気1番2番にランキングされる糖尿病だ。

その当時の私の薄っぺらな知識では、なりたくない病気NO.1が「がん」No.2が「糖尿病」だった。

病気に対して当時はあまりにも無知すぎるのでお恥ずかしいが、がんは祖母もなっていて長期に渡って闘病が必要なこと、家族から告知もされず(今は告知もあり得るが昔は本人には伝えなかった)こともあり、自分が何の病気か知らずに苦しみながら死んでいくのは嫌だと単純に思ったからだ。

そして糖尿病などは親族に誰もいなかったのでまず自分がこの病気にかかることは一生ないと思っていた。

当時私の体重は181cm、92kgのため結構太っていた。

友達には「そんなに飲み食いばかりしていると糖尿になるぞ!」なんて冗談で言われていた。

そんなことあるか!うちの親族には誰もいないぞ!なんてお気楽に構えていた。

一般の人が考えている病気像なんてこんなものだ。

病気は当事者になって初めて向き合うものである。

私も病気になる前は糖尿病に対し狭い知識しかなく、肥満になって好きなもの好きなだけ食べ不摂生をして好き放題に生きてきた代償がこの病気だと思っていた。

そして糖尿病の病気に対し当時一番勘違いしていたのは、食事療法をしても我慢ができず、また食べてしまい管理が悪くなって目が見えなくなったり、足が切断されてしまうという誤った知識しかなかった。

そのなりたくない糖尿病になってしまったと言うことでショックを隠せなかった。

ショックと言うよりは目が見えなくなったり、足が切断されたりとしか知識しかなかっため、ただただ恐怖だった。

何故なってしまったのか考えたら切りがなかった。

なってしまったのだから仕方のないことだ。

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一夜明けて

長かった夜を超え気持ちの整理はつかないが、少なくとも病気を受け止める準備はできた。

少なくとも、もう健康な状態には戻れないことだけがわかった。

そして恋愛や結婚さえも無理だと思った。

実は私には半年前に結婚の約束までしていた彼女がいた。

当時は些細な意地の張り合いで、お互い譲らなかっため結局別れる羽目になった。

病気になると弱気になるもので、こんな時に彼女がいれば思ってしまった。

病気になってから悔やんでも、もう遅い。

健康な時は、別れた後は次!次!なんて言っていたのに・・・

人間なんて都合の良い動物である。

落ち着いて、周りを見まわすと8人部屋だった。

しかも周りは私以外中年以上のオジサンか、お爺さんだ。

26歳の私には、ちょっときついシチュエーションだった。

早速、お隣の老人と目があった。

とりあえず挨拶せねばなるまい。

まだ自分の病気とも向き合えていないので人と関わりたくないと思っている中、自分から挨拶しなけれればいけないのは辛かったが、ここは礼儀だ。

「おはようございます。昨日入院してきました。宜しくお願いします」と挨拶した。

隣のおじいさんは、急に話始めたが入れ歯がないのかフガフガ音が漏れて聞きにくいが「何の病気で入院したんですか?」と聞かれたらしい。

いきなりデリカシーの無い会話だ。

こっちは気持ちの整理もついてなく入院初日だってのに・・・

私:「糖尿病です」。

お爺さん:「そりゃ大変だ!若いのに・・・お若いけどおいくつ?いつまで入院?」

そりゃこっちが聞いたいよ!入院に対しての説明だってこれからなのに・・・

夕方入院してやっと一晩越してこれからやっと昼間になり、先生や看護婦さんに聞きたいことが一杯ある。

そうしているうち朝食の時間になって、ワゴンから食事が運ばれて来た。

でも私の分はなかった。

前日まで血糖値が850を超えていたため、不思議と食欲はなかった。

看護婦さんが私の所に来て言った。

「ヒロ君、血糖値測ろうね・・・んーん?まだ血糖値400超えてるね。急激に下がるとショック状態でまずいことになるからゆっくり下げないといけない。今日1日で正常値まで下がるかな?正常値まで下がらないと食事は採れないからね」

もちろん現時点では食べる気もないし、何より体がけだるくてそれどころではない。

看護婦さんに起こされる以外は、落ちるようにスッと眠りについた。

高血糖時の症状はこんな感じ。後にも先にも血糖値400を超えていた体験はこれだけである。

カーテンを隔てた8人部屋での会話はプライバシーなどなく筒抜けである。

次に目が覚めた時、また隣の爺さんと目が合った。そしてまた隣の爺さんがまた聞いてきた。

「血糖値400ってスゴイの?若いのに大変だ」

そんな事はいちいち言わなくて良いと思った。

これから、どうするのかボーっと考えていたら看護婦さんがまたやって来た「午前中は先生は診察なので夕方、先生からお話があります」と言われた。

そうかぁ、またあの女医か!また何を言われるのだろう。

いろいろ考えたり、まだ血糖値が高いのでけだるくなり少し眠ったりの繰り返しで夕方になった。

またガツンと言われ

夕方になった。

入院している病室は3階だったが、先生が病室に来るわけではなく1階の外来に行くよう言われ、待合室で待たされた。

少し待っていると看護婦に呼ばれ、診察室に案内された。

この女医は40代後半のように見えるが、的確にズバズバはっきり言うタイプである事は昨日の会話で分かっていた。

何を言われるか緊張する。

しっかりしなさい

昨日の夕方に私が1型糖尿病ということは聞いたが、何のことやら全くわからない。

今だったら、スマホ片手にググればあっという間に事前にに予備知識も入れることもできるが、当時はまだ1996年である。まだガラケーでもi-modeすらなかった時代。

私の病気に対する知識は昨日と全く変わっていなかった。

先生が切り出す、

「やっと今日の15時過ぎに血糖値が正常に戻ったね。順調順調!!昨日の血糖値850から良くここまで下がったね。良かった良かった。」

「あとは急激に血糖値が下がったことによるショック症状が出なければ大丈夫だけどケトン体が出ていたから、他の臓器とかに影響が出てなければいいよね。」

恐ろしいことを言う。糖尿病になった上にこの上まだ何かあるというのか・・・

急に不安になった。

そして病気に対する説明が始まった。

先生:「糖尿病には2種類があって1型糖尿病、2型糖尿病があり1型糖尿病はインスリンを打たなければ生きていけない、2型糖尿病は一般に言う成人病で基本は薬と運動療法で治療をしていくタイプ。ヒロ君の糖尿病は1型で糖尿病全患者の10%以下しかいない」

私:「インスリンって一生ですか・・・」

先生:「一生だよ。打たなければまた高血糖で昏睡になり死ぬことになる。若いから厳しいことを言うけど、病気に対する理解がない人が多いから結婚は難しいと思う。女性は男性が同情で結婚する場合があるけど男性はね・・・女性は現実的だから」

ガーンである!大ショック!!心を何かでうち抜かれたようだった。

クジ運は無いのに病気に関しては、ずいぶん確率の薄いところを引いたものだと思った。

たぶん今後、私を受け入れてくれる女性なんて出てくるものだろうか。

そう思うとお先真っ暗で悲しくなった。

そして病気に対する治療方針と今後のスケジュールの説明が始まった。

大きくは3つ、

①3食毎に運動療法をして自分の血糖の動きを知る
②食事療法(食品交換表)で摂取カロリーが計算できるようにする
③自分で自己注射(インスリン注射)ができるまで訓練

が出来て初めて、退院できる見込みになるとのことだった。

一番ショックなのは③の自己注射だった。

何となく昔ドラマでインスリン(その頃はインシュリンと言っていたと思う)を打つのを見て注射機を自分で打つのを見ていたからだ。

しかも想像するのは医者が予防接種で打つような普通の注射器。

俺もあれをやらなくちゃいけないのか・・・自分で打てる自信もないし、痛そうで嫌になった。

受け入れるだけで必死だった。

受け入れられるのか?拒否すればどうなるのか頭がパニックになった。

退院のスケジュールに関しては最短1ヶ月で、あとは3つのことが出来るかは自分の頑張りしだいで、延期もあり得るとの事だった。

そして両親が病院に到着

女医からの衝撃的な発言にショックを受け、しょんぼり病室に帰ってくると両親がいた。

前夜、悪友のk君が来たときはあんなに泣きまくったのに、昨日泣いてしまったからだろうか、不思議と両親が来ても涙も出なかった。

親には心配をかけまいという気持ちがあったからかも知れない。

私は落ち着いた様子で両親に先ほど女医から聞いた内容を話し始めた。

両親は終始無言。

そのあと、母親が言った。「こんな体に産んでしまってゴメンね」。

そんなことはない。

不摂生でだらしのない生活を送っていたのは私であり、親のせいではないのだ。

誰のせいでもない。

逆に親に心配をかけ、申し訳なく思った。

何かのせいにするとしたらそれは、1週間前に風邪を引いてしまったことだ。

そして風邪から1週間で血糖値はぐんぐん上がり、血糖値850を超えるまでになった。

なぜそうなったかは誰も説明できないが、事実はそれだけである。

私は、女医からこれから結婚も難しくなることを言われたことを思い出し、今までは漠然といつかは結婚できると思っていたことを情けなく思った。

健康はお金では買えないとオヤジどもは言っていたが本当だった。

お金で買えるなら、健康を取り戻したいと心から思った。

そして、両親に結婚もできなければ孫の姿も見せられないことを申し訳なく思った。

そうしているうちに入院1日目は過ぎていき、面会時間の20時になり両親も帰って行った。

また憂うつな夜の始まりである。

【つづく】

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