時代は1996年、私は26歳。
私は27歳の誕生日まであと1週間というタイミングで1型糖尿病と診断された。
そして、病院に行く前には全く予想していなかった入院という状況。
初めての入院、長い夜の始まりである。
俺、糖尿病になっちゃった
夕方、女医からまさかの病名を伝えられ、近県とはいえ身寄りのないのは困った。
まずは親に連絡だ。
しかしまだ携帯電話が普及し始めたころ(私は携帯とPHSも持っていた)とはいえ、親世代は携帯などまだいらないと持たなかったのだ。
両親とも働いている時間で家に電話しても誰もいなかった。
ここは仕方ないオヤジの勤めている会社に連絡するしかない。
とりあえず、オヤジの勤め先に電話するためにいったん病院の外に出た。
電話はすぐつながった。
事務の女性が出た。
私:「○○の息子ですがお世話になっております。今日はうちの父はまだ会社に居ますか?」
女性:「いつもお世話になってます。いますよーちょっと待ってね。」
妙にテキパキしたはきはきした声に私は悲しくなった。
こっちは弱りまくって必死に電話しているのだ。
まもなくオヤジが電話口に出た。
父:「おうヒロどうした?」
私:「ゴメン会社まで電話しちゃって、俺、いま病院にいるんだけど今日入院しろって言われた」
父:「病名は?なんだよ大変な病気なのか?」
私:「糖尿病!インスリンって注射打たないといけないって」
父:「・・・・」
しばし無言。
しかも職場に電話しているため周囲が気になって糖尿病という用語が出せないような感じだ。
会話を聞いていてプライバシーが筒抜けなのがわかった。
父:「とりあえず、家に帰ってお母さんに言っておく。今日は無理だから明日病院に行くよ」
私:「どちらにしても病院は面会時間が20時までだし神奈川までは遠いから来なくていい」
父:「わかった。とにかく明日向かうから。とにかく気を確かに持って頑張れ!」
オヤジは頑張れと言ったが、気持ちの整理すらできていない私に頑張れと言われても頑張れるか自信がない。
ましてや初めての大病で気が動転している。
オヤジと話してもいても自分の心は消化不良だった。
誰かと話したい!!誰がいい?
こんなとき彼女でもいればよかったのだが、結婚さえ考えていた彼女とは別れて1年にもなる。
あとは男友達だけだ。
一番の親友であるKの顔が思い浮かんだ。
Kは中学校からの悪友で私の中学校のNo.2だった。要は筋金入りの不良である。
親はあまりつきあわせたくない人物の筆頭だったが、私はKとは不思議と馬が合った。
Kのせいでよくケンカに巻き込まれたし、嫌なこともいっぱいあったがKは頼りになる人間だ。人間として一番信用のおける人間だった。
同い年ながら、兄貴分にも似た雰囲気を持っていて私はKを頼り切っていた。
早速Kに電話をする。
Kが電話に出た。
K:「おう!ヒロどうした?」
私:「悪いね忙しい時に、俺、糖尿病になっちゃった」
K:「まじかよ、すぐ行くぜ!!どこの病院だ?」
私:「来なくていいよ。20時で面会時間終わっちゃうから」
K:「とにかく病院名だけ教えろ!あとは何とかするから!!」
Kは私が、独身寮に入る時に引っ越しも手伝ってくれたから大体の場所がわかっていた。
とりあえず親友のKと話したことで少し落ち着くことが出来た。
そろそろ、病室に戻らなければ。
入院の用意をしてこなかった私は、とりあえず病院の売店で下着や歯ブラシ一式を購入して病室に戻った。
病室に戻ったら看護婦の元締めである主任が私のベッド脇の椅子に座って待っていた。
看護婦:「おそいじゃない?何やってたの?」
私:「親に電話してました。神奈川には身寄りがないので」
看護婦:「わかったけど病院内で携帯は心臓のペースメーカーが止まってしまうから使用は厳禁なんだよ」
私:「これは携帯じゃない。PHSって言うんだ知らない?PHSはペースメーカーに影響しないって報告もあるのに!!」
看護婦さん相手にそんなことを言っても無駄だった。
まったくこんな状況で可愛くない奴だと看護婦さんに思われたのは間違いない。
看護婦:「そんなことはどうでもいいから今自分の立場がわかっている?君、血糖値850超えてるんだよ!!今から生理食塩水を点滴でバンバン入れて血糖をまず下げる。朝までに正常な血糖値に近づけるようにするから。
朝まで何本も生理食塩水を入れて今晩、血糖値が下がらなかったら高血糖で後遺症がでるかも
私:「エ!そうなの?マズイじゃん早くしてよ」
看護婦:「高かった血糖がこれから生理食塩水を入れ血糖値が急に下がると調子がなるかも知れないからその時はナースコールをして!」
看護婦は、てきぱきと点滴をしてその場から去った。
初めての入院で右も左もわからない私はとても不安だった。
看護婦さんにはずっとついて欲しいと思った。
そして面会時間の20時が過ぎ、病院の中の雰囲気が変わった。
先程までは、面会者がいたため病室の中も少しにぎやかだったが、面会時間が終わると病室内がシーンと静まり返っていた。
そして21時になった。
急に真っ暗になった。消灯である。
深夜の病院で
周りはカーテンが閉まっていて挨拶できなかったが、病室は6人部屋のようだ。
点綴をしながら、いろいろ考えていた。
このまま血糖が下がらなかったら自分は死んでしまうのか?
死んでだら仕方がない。それまでの運命・・・
そう考えていたら、悲しくなってきた。
さっきまで周りの雑音はあまり聞こえなかったのだが、私の横は老人のようだ。
もう就寝したらしく、時折フガフガ寝言を言うが入れ歯がないからなのかロレツが回っていないような言葉を発する。気にしないようにしていたが気になる。
テレビをつけてイヤホンでもしたいところだが、この病院は規則が厳しく消灯時間後のテレビは厳禁だった。
そうしているうちに看護婦が回ってきて私ののベットのカーテンを開けて入って来た。
真っ暗な中、ペンライトで照らしながら「血糖値測定するからね。ごめんねチクっとするよ!」と言った。
もう何でもいい!何でもやってくれ。
「血糖は下がり始めているね。また1時間後来るから。寝てていいよ」
って言われても横はイビキや寝言でうるさいし、自分の病気に対する気持ちが整理できていないのに寝られるわけがない。
そうこうしているうちに、時刻は23時を回っていた。
深夜の病院は騒がしい。
看護婦が小走りする靴の音、電子機器のピッピッと鳴る音、深夜の病院は経験したことのない騒がしさだった。
早く帰りたい!外に出たい!!と思っていたら・・・
遠くで聞きなれた声が聞こえる・・・
「ヒロ!ヒロ!どこにいるんだ!!起きてんだろー!!」
Kである。
看護婦が困ります!面会時間過ぎてますから!!と静止している。
Kは「可愛い看護婦さんだなー疲れてるんでしょ!あとで肩揉んであげるから通して!!」
相変わらず強引な男である。
私は、一目散にKのもとに向かった。
生理食塩水を点滴しているので点滴を引きずりながら・・・
Kの姿がそこにあった。
Kの姿を見た瞬間!!
わたしは嗚咽にも似た鳴き声で泣いた。たぶん一生の中で一番泣いたと思う。
それまで抑えていた感情が一気に、せきを切ったようにあふれ出た。
さすがにこれには看護婦も驚いていた。
知らない土地での入院生活、なるはずのない病気に対する疑問、先の見えない生活いろいろな不安が渦巻き誰にも話せないストレスからKが来たことにより、一時的に解放されたから泣いたのだと思う。
そして看護婦さんは・・・「ちょっとだけですよ!休憩室でならいいですから」
黙認してくれた。
休憩室でKと話して少し落ち着いてきた。
面会時間以外はいけないのだが気を落ち着かせるために、タバコに火をつけた。
そしてKが言った「注射打てば生きていられるなら良かったじゃん!打っても死ぬならだけなら不幸だけど、注射打ってればまだ生きれるんだろ!!」
Kらしい励まし方だ。確かにそうだ。それはわかっている。
でも逆に注射を打たなければ即死ねるし、これから注射を打たなければ生きて行けないことが、とてもみじめに感じた。
病気が判明してからまだ数時間、まだ心が整理できない自分がいる。
これからは、この事実と対峙していかなければならないのだ。
Kとは1時間くらい話した。
そしてKはおもむろに言った。
K:「そろそろ帰るわ!実は外で彼女を車の中で待たせてるんだ。」
私:「ゴメン、長話しちゃって!彼女にはなんて言って埼玉から来たの?」
K:「神奈川に美味いラーメン屋があるから食べに行こうって言って来た」
私:「ラーメン食べよって2時間かけて1時間も待たせてよくそんなウソを」
K:「だから帰りに食べればいいんだろ!深夜でもやっているラーメン屋紹介しろ!!」
そしてKは言った。
K:「お前も大変だけど俺も大変なんだ、好きでもない女と結婚することになった。」
私:えー!!
K:「子供出来ちゃって、彼女が別れる気がないって言うから、とりあえず結婚する」
マジ!!衝撃の告白だ。
こんな大事な話をこんな状況で、こんな場所で聞くなんてびっくりだ!!
K:「まぁそういうことだから俺の結婚式まで生きてろよ!!」
と言い放ってKは帰っていった。
私は心底Kに心から感謝した。
親だって駆けつけてこれない深夜に、私を励ますためだけに片道2時間、往復4時間をかけて来てくれた。
Kの結婚式に出席するために頑張ろう!!本当にそう思った。
望んだ結婚であるとかないとかは、この際関係ない。
とにかく退院後の目標が一つできた。
すでに時刻は12時を回っている。
看護婦さんが言った。
嵐のような人だけど、いい友達だね。
Kが帰った後の病棟は、また看護婦さんが小走りに走る音が響き渡っていた。
私はその音を聞きながら、眠れない夜を過ごした。
自分は何故死ななかったのか?生かされた理由は?
健康だったらおよそ考えなかったことが、次から次へと頭に浮かんでくる。
そして朝になった。
一晩、考えた結果は・・・
何歳まで生きれるかはわからないが、壮絶で後悔のない人生を送ってやる!!
本当にそう思った。
【つづく】