第7話 とうとう病気に

時代は1996年、私は26歳。

そして時代の変わり目のWindows 95が発売となり、世の中は空前のパソコンブームとなっていた。

私の手元にWindows 95パソコンが支給されたのは、それから2ヶ月後の1996年1月だった。

そしてWindows 3.1時代には表計算による見積とインターネット閲覧のみだったが、Windows 95になり、いよいよメールの導入が開始された。

最初のメールソフトはマイクロソフトの製品ではなく、Eudora(ユードラ)というメールが採用された。

マイクロソフトにも「exchange」というメーラーがあったが、まだ開発途上で世間の評価では海外で実績のあるEudoraだった。

実はWindows 3.1時代でもネットワークSE部門単体ではメールを評価に使用していて、その時に使っていたのがEudoraだったので、社内展開するにあたり実績のあるEudoraの方が展開しやすかったからだ。

今でこそメーラーはOutlook、ブラウザーはインターネットエクスプローラー(IE)とマイクロソフト製品で統一するのが企業ネットワークでは当たり前になっているが、Windows 95時代にはブラウザーですら Netscape Navigatorだった。

OSはマイクロソフトの時代になっていたが、そのほかのアプリはまだまだ他社製のものが多かった。

スポンサーリンク

ネットワークSEの仕事にも変化が

SEの仕事にも変化があった。

私が担当していた企業系ネットワークは、今まで別々だった音声とデータの融合がコスト削減のテーマとなっていた。

そのため、新しいネットワークへの対応が急がれていた。

早い企業は目先の技術(フレームリレー)に飛びつきコスト削減を目指していたが、マルチメディア(用語自体が古い)対応のATMまで待ちたいといった企業もあった。

これを現在のテレビに例えると地デジ(2K)テレビを購入するか、4Kのテレビが出るまで購入するのを待つかの差と似ている。

更に待っていれば次世代の8Kテレビだって控えているが、普及するのはいつの事だかわからない。

技術というものは待っていては先行者利益を得られないし、待っていても思っていたほど続かず陳腐化し、次世代技術が出てきてしまうのでどこで参入するかは非常に微妙な問題だ。

そして私の仕事にも節目が・・・空前の大型受注10億円のプロジェクト。

何のことはない私が手掛けたプロジェクトでもなく、出向先の会社の営業とSEが死ぬ気で取った大型案件だった。

しかし受注するときはイケイケで取っても、実行段階でプロジェクトをどう回すか検討されていないのが常である。

とはいっても、まだネットワークSEなど世間からは何者か認知されていないこの時代、圧倒的に人材が不足していた。

かと言って自分の会社でエース級の社員は常駐させたくはない。

こんな時、私のような出向先の協力会社の社員は扱いやすかった。

何しろ、常駐させても請負契約をさせればリスクは協力会社になるからだ。

知識や経験からも、年齢らしからぬ動き(接待攻撃)をする私は適任者だった。

私の所属する会社も、このプロジェクトに私が参画することにより、私の下に後輩を何人も入れることが出来るので儲かるということで色めきたっていた。

私は私でこのプロジェクトの先駆者になれば会社の中で一気に偉くなれると思っていた。

まさにチャレンジの価値ありプロジェクトだった。

今風に言えば チャンスが キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! って感じだろうか。

いずれにしても常駐しなければいけないし、八王子方面は私の住む埼玉県の実家からはメッチャ遠いので通いきれない。

そのため、引っ越しは必須だった。ちょうど会社の神奈川県に社員寮の空きがあるとの事だったので入寮することにした。

住まいを探す時間も省けるし一挙両得。

入寮は2月上旬である。

期待と不安の入り混じったプロジェクトのスタートである。

いよいよ新たな環境

引っ越しも早々に新プロジェクトである。

初日のあいさつはキックオフ打合せということで、関連する関係者すべてが集まった。

別のシステムを開発するベンダーも広義にとらえれば同じプロジェクトのメンバーになるため他社とはいえ同じ打合せに参加していた。

食事は、常駐する会社の社員食堂を使って良いことになっていた。

初日の午前中打合せと現地確認を終らせ初めての昼食は一人だった。

打合せが終わったら、みんな挨拶も早々に次々帰っていった。

一人食事をしていると先程打合せに参加していた、他ベンダーのI君だった。

少し見覚えがあったし、名刺交換もしていたので声をかけてみることにした。

私 :「先程はどうも、御社はいつから来ているのですか?」

I君:「今年の年明け1月からです」

私 :「私は今日から常駐しますので、また会ったら宜しくお願いしますね」

I君:「こちらこそ、お互い別々の会社ですが現場では仲良くやっていきましょう」

というような会話だった。

別々の会社とはいえ、初日に顔見知りが出来たのは心強かった。

順調な滑り出しである。

しかし、後にも先にも早く帰れたのは、最初の挨拶をしてから1週間のみだった。

仕事以外にも問題が

出向先での仕事が始まった。

実は、新たな生活を始める前から私は仕事以外にプライベートで問題を抱えていた。

友人の結婚式の幹事である。

しかも同時進行で2組も・・・披露宴での催しから、二次会の手配まですべてやっていた。

新生活をはじめ、それどころではなかったので、断れば良かったのだけど一番最初に出向先に配属されたときの出向先の社員の友人だった。

同い年だったし、お互い意気投合して仕事以外にもスキー、バーベキューとよく行った間柄だったので断れなかったし、祝ってあげたかった。

結婚式は6月のジューンブライド、案内状は2月中には出さなくてはならなかった。

今だったら2次会の場所なんてインターネットで調べれば大体わかるし、案内状だってパソコンの年賀状ソフトでも使えば宛名だってまとめて印刷できるし、案内文や会場の地図だってパソコンとプリンターがあれば、あっという間にできる作業も、当時会社でパソコンをバリバリ使っている私でさえプライベートではパソコンなどない状態。

何で作成していたかと言えば、ワープロ専用機だ。

機種は東芝のルポ。

かろうじてペンライトを付属していたモデルだったが、手書きで地図など書けるわけもなく、図形と罫線で書くのだ。

宛名書きくらいはLotus 123(表計算)が搭載されていたため、かろうじてできていたが、案内文と地図なんて作るの至難の業。

業者にお願いすればよかったのだけど、軽い気持ちで受けたのが行けなかった!!

引越ししたばかりで自分も大変だったのに、2月の週末は他の幹事数人と2次会の会場探し。

平日仕事が終わって帰ってくると、いつも0時を回っていた。

風呂に入り、ワープロで2次会の案内を作成して印刷すると寝るのは3時過ぎ。

社員寮は電気代が定額制だった。

つまり、いくら使おうがタダ(注:定額なので実際はタダではない)。

2月はまだ寒いので帰ってくると寮に据え付けのエアコンは温まるのが遅い。

帰ってきてから時間がないし、立ち上がるのが遅いので寒くて仕方がないし、電気代はどうせ定額制なので意地汚く24時間暖房をつけっ放しにしていた。

疲れて帰ってくる日々、気付くと布団もかけずエアコンを回し放しで寝ていた。

部屋の温度も暑かったと思う。

起きると汗をびっしょり書くことが多くなっていた。

そんなことをしているからか風邪を引いてしまい、とうとうダウン。

けだるくて仕方がないので、病院にもいかず1日寝て次の日からは、仕事に戻った。

 

2月の最後の週末、久しぶりに実家に車で帰るのだが夜の首都高速、追い越し車線の時ミラーを確認しているのに後続車からホーンを鳴らされた。

完全に注意力散漫、追い越し車線に出るのが怖かった。

はっきり言ってぼやけて良く見えてなかった。

想像できない方はプールにでゴーグルをしていた経験はないだろうか。

イメージ的には、ゴーグルの中に水が浸入してきて見難い状態と行った方がわかりやすいだろうか。

 

今まで運転していてそこまで車線変更しにくいなんてことはなかった。

普段の生活で疲れていて、目が悪くなっているだけなのかと思った。

今考えると、この時から症状が出ていたのだと思う。

こんな時に運転はしてはいけない。

実家に帰ると寝てばかり

やっとのこと実家に帰ったのだが、家事をやらなくて良いのは親のありがたみを感じた。

実家にいるときくらい甘えさせてもらい、ひと時の休息、それくらい疲れ切っていた。

両親とは言葉も交わさず、ご飯も食べず、とりあえず寝る。ひたすら寝る。

疲れ切っているはずなのに、なぜか1時間に1回目が覚める。

リビングのホットカーペットの上で寝ていると目が覚める毎にのどが渇く。

砂漠の中にいると思うくらいのどが渇いた。

同じリビングにいる両親も不思議そうに私のことを見つめている。

そんなに飲み物を飲むのはおかしいので病院に行ったら?言われた。

そういわれると自分でもなんだか異変を感じているのに何だか否定したくなった。

私は今までの人生において大病なんてしたことがなく、自分が病気で入院するなんて想定できなかったことだからだ。

病気になるのは中年以上にならないと絶対ならないと漠然と考えていた。

約束された未来なんて何もないのに。

 

1時間おきに尋常じゃない水分を一気にとる私を見て両親が「いい加減、飲むのやめなさい!おかしいから絶対!!明日会社休んで病院に行ってきな!!」と言われウザかった。

そうなると今度は隠れて飲むことになる。

ドライブに行ったついでにコンビニで1.5リットルのアクエリアスやポカリスエットなど体に吸収がよさそうな飲み物を一気に飲んだ。

実家には日曜日までいたが、夜までいられなかった。

親が病院に行けとうるさいからだ。

早く社員寮に帰りたいと思った。

寮に帰ればだれにも邪魔されず、好きなだけ水分を取れるからだ。

だけどその考えは間違っていた。

何かがおかしい

自分の体だからおかしい事は薄々感じていた。

でも、思い当たることがあればあるほど、正面切って認められないものだ。

月曜日の朝になった。

体はひどくけだるいが、なんとか会社に行ってみるが仕事に集中できない。

1時間ごとに食堂の自動販売機に行って、コーラなどの炭酸飲料を買う。

のどが渇くうえ、けだるいのでさっぱりしたいため炭酸を飲むとスッキリする気がする。

そのため、お茶など一切飲まず、炭酸飲料やスポーツドリンクを飲み続けた。

これが後に大変な事態になる。

水曜日まで働くが水曜の夜、今度は便意が止まらなくなった。

寮のトイレは和式だったのだけど、便が下までついてさらに渦を巻くくらいつながって出た。

人生においてこんなのは初めての長い便だった。

便が出切った後はもう出る物などなく、便意だけしかないが1時間おきに行くことになった。

やっぱりおかしいかも?と感じた。

そうやっているうちに木曜日の朝になった。

何とか会社に行くが、けだるさだけしか感じない。

頭がぼーっとするような感覚で、人の話を聞いていても途中で一瞬ガクッと落ちてしまう。

常駐先の社員から「寝るな!!」と怒られるのだがもうどうしようもなかった。

とうとう昼休みを待たずに「今日病院行きたいので帰らせてください」とお願いし、身支度を済ませ一旦、寮に戻り車で病院に行くことにした。

寮に戻ったが、引っ越してきたばかりで土地勘がある訳では無かったが、社員寮には寮長(管理人みたいなもの)がいた。

寮長に自分の症状を伝え、2週間前に風邪をひいてから喉が渇いてどうしようもないことを伝えた。

寮長は親身に相談に乗ってくれ、比較的小さな総合病院を紹介してくれ、内科か泌尿器科に行った方が良いとアドバイスしてくれた。

けだるくて仕方がないが、誰も連れて行ってはくれないので車を運転して病院に向かう。

そして何とか病院に到着。

即入院

やっと病院に到着した。

何でもないさ、風邪をこじらせただけって言われるに決まってる。

心の中でそう期待していた。

 

初診の手続きをして症状を伝える。

内容はこうだ。

2週間前に風邪をひいたこと、それ以来、尋常じゃない程のどの渇きがあること、便意があり寝ていても起きる程だと言うことを伝えた。

 

総合案内の判断は内科/泌尿器科だった。

待合室で待っていると、看護婦さんが出てきて症状を見て近付いてくる。

症状から血液検査と尿検査をする必要があるが、糖尿病の専門医が今は入院病棟の巡回に行っており、呼び出して戻ってきているが少し時間がかかることを伝えられた。

 

なぜ糖尿病の専門医?と思った。

大体うちの家系には糖尿病患者なんていないし、オッサンのなる病気じゃないか。

何言ってるんだこの看護婦!嫌なことを言いやがる!!と少しイラッとした。

イラッと来たのは自分にとって都合の悪いことが次第に明らかになってきているのを自分でもわかっているから。

知らな過ぎるのは私の方である。

 

血液検査をして、尿検査をして20分くらい待っていただろうか。

やっと担当医が戻って来たようである。

私の名前が呼ばれた、なんか嫌な空気感は何だろう?

結果を聞くのですらドキドキする。

なんかすごい病気だったらどうしよう?

 

カーテンを開け、診察室に入ると中にいたのは女医だった。

開口一番マズイよ!本当にマズイ!!糖尿病だよ。

血液計ったら血糖値が850mdl超えてるから。即入院だね。

自分で運転してきたの?目は見えるの?よく倒れなかったね。

ちょっと体の弱い人だったら600mdl超えたら高血糖昏睡が起こって気を失っちゃう人もいるんだからね。850dlでどんなにすごい数字だか知ってる?

血糖値が1,000を超えたら血液が酸性化して死んでしまうんだよ。

今日は一人?今夜が山だからね。

すぐ入院だよ。しばらく帰れないからね。家の人は?

自分の体が、尋常じゃない状況なのは薄々わかっていた。

女医の説明は理路整然としており、妙に納得した。

しかし、それがいかに大変なことは理解していなかった。

長い夜が始まった。

【つづく】

タイトルとURLをコピーしました