第6話 絶頂期

時代は1995年、私も25歳になっていた。

Windows95 発売は1995年11月なので実際の導入は年明けの1996年となる。

ネットワークSEになって2年が経過していた。

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仕事の絶頂期

SEの仕事も楽しく順調、まだ設計部の先輩などとも交流が続いていて協力会社という立場は変わっていないが自分でも技術力がついて自信もつき、すべてがうまくいっていた。

企業のデータ系ネットワークは別物でIP系通信などはほとんどなく、IBMのメインフレームというホストコンピュータを拠点間で結ぶ形態が一般的だった。

特に音声系ネットワークの仕事はその当時は今のように社内システム部などない時代、会社のどこの部門が管理していたかというと、総務部が兼務で管理していることが多かった。

ホストコンピュータ系は情報システム部という部門が管理されていることが多かった。

そのため、SEの私が要件をヒアリングする場合や要件を整理した後、設計方針を確認する相手は課長以上の役職の方とお会いすることが多かった。

ということは必然的に自分の親父と同世代の方と会話することが多く、勉強になることが多かった。向こうはきっと私を息子と同じくらいに見ていたのだろう。

今にしてみればサラリーマンのオジサマ方がまだ輝いていた時代だと思う。

打合せすると「ひろ君、会社の情報システムの奴が勝手に回線を引きやがるんだ、これでは音声とデータを統合できない。どうしたらいい?そう言えば!17時回ったな、とりあえず飲みながら話すか」とお客様の総務のオジサマ方にも誘われ、良く飲みに行った。

携帯もない時代、違うお客様から追い回される必要もないし、会社に連絡する必要もない。

そういう時は直帰である。

飲みの席では人生の先輩だから人生論やためになる話も酒を酌み交わして覚えた。

こちらも、交際費など結構使える身分に置かれていたので「ここは僕が払っておきます」なんて生意気なことを言うと、オジサマ方は「バカ野郎!俺が誘ってるんだからウチが出す!!」なんてやり取りがあるほど、バブルは弾けていたが、世の中まだ余裕があった。

失われた20年というけれど、このころはまだ確実に世の中にお金があったと思う。

携帯もあるにはあったけど、SEが会社に携帯を持たされるようになったのは1998年あたりだったと思う。

仕事も充実しているし、プライベートも絶好調!

まさに調子に乗っていた。

私は埼玉の実家から1時間30分かけて港区まで通勤していたのだが、仕事先のお客様などと飲んで帰り地元の駅に着くのは22時過ぎ、でもそのまま家に直行せずに悪友が待っている飲み屋へ寄り道、さらに別の店へなんてことをやっていると時間はあっという間に深夜1時をまわって帰宅した時には2時何てことはザラだった。

深夜3時近くに寝て、朝6時30分に起きて、実家にいるのに朝食も撮らず何て生活をしていたんだと今は自分でも思う。

これでは病気しますわ(-_-メ)

結局したんですけど・・・取り返しがつかない病気を・・・

それはもう少し先の話である。

そんなこんなで時代は1995年11月いよいよWindows95が発売されることになる。  

Windows 95発売

Windows 95が発売されたのは1995年11月23日、ニュースを見ていたら秋葉原の映像が映っていてた。

徹夜して発売を待っているお客が我先に買い求めている映像だ。

馬鹿らしい!!

OSだけでそんな熱狂するか!?ちょっと便利になっただけだろ・・・

浅はかな私はその程度に思っていたのだが、事態は全く違っていた。

年明けの1996年1月、会社のパソコンがWindows 95に変わったとき 想像以上の出来にビックリすることになる。

ビックリしたのは、ネットワークにTCP IPが標準で実装されていたことだ。

Windows3.1の時代はダイヤルアップが前提だったためモデムと結ぶためのモジュラーケーブルのコネクタの差込口しかなかった。

そのためLANケーブルを挿すためには、パソコンの裏を開けてSCSIスロットにLANインタフェースの基盤を認識させる必要があった。

SCSIスロットに挿入されたからと言ってLANインタフェースがすぐ使える訳では無く、フロッピーディスクでドライバーをインストールし、TCP IPを使用するためにはIPXをインストールする儀式が必要。

それが、Windows 95ではこれらの儀式のほとんどが不要になった。

意味することはネットワークがLANケーブルに置き替えられていくことを意味していた。

まさに技術革新である!!

Windows 95発売以降のパソコンはLANインタフェースが次々と実装されていくことになる。 

それ以外に16ビットから32ビットに処理が変わって1.5世代ほどの進化をしたように記憶しているが、起動も早くなりやっと普通の人が使えるレベルに達したと思った。

それよりもっと大きかったのはこれ以後、秋葉原の風景がパソコンショップ一色に置き換わっていくきっかけになったことが大きいと思う。

私は、家電製品を見るのが好きで子供のころ、よく秋葉原に行った。

子供のころ(1970年代)親父が今日は冷蔵庫を買いに行くというと喜んで一緒に行った。

まだ世の中おおらかな時代だった。

歩行者天国になっている道路のあたりに、晴れていると冷蔵庫が道にはみ出しておかれていて親父が「いくらで売ってくれる?勉強してよ!」なんてやり取りされる秋葉原が好きだった。

高校生になり、都内の学校に通っていたころコンポやレコードの針やカセットテープ(懐かしい!!)を良く買いに行っていた。

話はそれてしまったが、そんな秋葉原が変わっていったのはWindows 95 が契機だったと私は思っている。

ネットワークSE的には

時代も大きく変わろうとしていた。

ネットワークも音声系、ホスト系の他にLANを混在させネットワークを統合するための技術が開発され、フレームリレー、ATMといったインターネット時代のための次世代ネットワークを構築する必要があった。

そして私が遊んでいる間に、出向先の社員の一部の時代の読みが早い人間は、Ciscoなどの海外メーカーに転職する人間が出てきた。

私は協力会社という立場もあり、ここでも遅れをとることになる。

古い音声系ネットワークに脚光が当たることはなくなってきていた。

時代の花形はIP系ネットワークに移行しようとしていることは明らかだった。

お客様側にも大きな変化が出てきた。

音声系のネットワークを牛耳っていた50歳以上のオジサマたちは定年退職や配置換えによって発言力がなくなり、社内システムなる部門が出来ていくようになるのである。

時代が変わる時は早いものである。これだと信じていたものがあっという間に陳腐化する。

それでも、大企業の音声ネットワークを担当していた私は、IPに移行することもできず出向先の上司からは待てといわれ悶々としていた。

大型受注がきっかけで

ずっと待てと言われ、私は焦っていた。

そして、ある時出向先の課長から近いうちに10億規模の大型受注をする必要がある。

しかも出向先の課長とは飲みで気が合い、尊敬の念もあった。

手伝ってほしいと言われていた。

これは間違いなくチャンスである!!その時はそう思った。

ただし、長期的な移行プロジェクトのため客先に常駐が絶対条件だった。

要はシステムと一緒にお守りをする人もセット販売されていたのだ。

場所は東京の八王子方面のため自宅からは通いきれない。

私は実家暮らしをやめ、社宅に入る決断をする。

この決断が、私の人生を左右する出来事に発展することなどその時はまだ知らなかった。

【つづく】

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