第5話 退職は白紙撤回

前回(第4話)は「僕会社辞めます!!」で終った。

なぜ辞めたかったかと言えば、A君が抜けた穴を私がリカバリーしているのを誰かに褒めてもらいたかったのに誰も褒めてくれないからだ。

多分この頃、私はわがままで自己顕示欲が強かったように思う。

 

入社から1年半、A君がいなくなった後のリカバリー作業に追われ冷静に考えることが出来なかったが、設計部にいてもハードウェアの設計をさせてもらえるわけでもなく、確かにこのままいても先が見えていた。

A君は確かに賢かった。

何故なら半年前に気づいてもうやめてしまっていたから。

A君の尻拭いをして私も1年後、辞める決意をしたのに会社側がA君がやめてから何も対策をしなかったことになる。

しかも当時まだ新人だった私に尻拭いをさせて・・・(今だったらブラック企業と言うところか)

まぁそのおかげで出向先の社員は、私を可哀想に感じ、仲良くなれたので結果オーライではあった。

問題は衝動的に辞めると言ってしまった私も引っ込みがつかなくなってしまっていた。

どうするか考えていたら、上司が提案してきた。

「わかった!設計がダメだったら他の仕事をやってみたら?どうせ辞めるんだったらそれからでもいいんじゃない?」3日後に案内すると言われたので、ダメ元で違う仕事の内容聞いてみることにした。

この決定がその後の私の人生を左右することになるとは当時の私はまだ知らなかった。

スポンサーリンク

ネットワークSEになる

聞いてみれば、自分の会社の先輩が出向で行っている別の部署だった。

要は出向先の部署が変わるだけのことである。

先輩を訪ねていくと、そこはネットワークSI (システムインテグレーション)を部門だった。
設計部に比べたら、人数も多く何より社員の年齢が若かった。

設計部では考えられないパソコンが1人1台導入されていた。
それだけでも、全く別世界だった。
もともと辞めると言っていたので、どうせ辞めるならネットワークを勉強してからやめてもいいと軽い気持ちでやって見ることにした。

今辞めても次の職業がすぐ見つかるわけではないからだ。

世の中はバブルが弾け、浮かれ気分から暗い時代へのちょうど入口だった。

その当時の若い自分には関係ない話だったが、設計部の先輩の人事情報では今度リストラされる〇〇さんなんて言葉が流行りだした頃だった。

もちろん、当時不勉強な私がリストラなる用語を知るわけもない。

話は横道にそれてしまったが、要は仕事を辞めず会社の先輩の言うことを聞いて、とりあえず設計部からネットワークSEに鞍替えしただけとなった。

これが吉と出るか凶と出るか。

ネットワークSEは別世界だった

出向先の設計部とSEの世界は同じ会社なのに別世界だった。

設計部時代はパソコンは、NECのPC98xxシリーズが部に共通パソコンとして1台だけだった。

Windowsなどなく、MS-DOSコマンドでデータベースソフトを起動しデータベースのデータはフロッピーディスクに保存するやり方しかできなかった。

ところが、ネットワークSEの部門はパソコンが1人1台で且つ、Windowsだった。

世に言うDOS-V機とかAT互換機と言われていた時代の話で、時代はまだ1993年である。

Windowsと言ってもパソコンが世間的に一般になったWindows95ではなく、その前身のWindows3.1だった。

それでもその時1台30万円(デスクトップ+CRT)以上するパソコンが自分の席に置いてもらった時の衝撃は忘れない。

それまでMS-DOSコマンドをノートに書き書き読み読み起動していたものが、マウスとカーソルを合わせてクリックするだけで動くWindows(その当時Macintoshの存在を知らなかった)は画期的だったし、来たる未来を想像させた。

その当時のWindows3.1はダイヤルアップ接続が当たり前の環境だったため、TCP/IPを標準で実装されていなかった 。

さすがネットワークの専門部隊だけあって、そんなことはものともせず強引にTCP-IPを動かし、ネットワークプリンターまであった。(今では秒殺で設定できてしまいますがね)

私はまだ配属されたばかりで何がなんだかわからないが、とにかくスゴいシステムを組んでいることだけはわかった。

同級生に聞いてもまだ誰もそんなことをしていない時代で、先進的な気分になった。

早く自分もそういうSEになってみたいと思うようになった。

ネットワークSEにあこがれて

ネットワークSEになる前のミッションとして、パソコンの理解と見積作成が修行だった。

パソコンは良く止まったし、今のような出来の良いものでもなかった。

Windows3.1時代はWindowsの起動もc:\ cd windows → c:\ windows¥winと入力しないと起動しないし、起動しても読み込み途中で止まってしまうということも多々あった。

起動したら起動したでネットワークにつながる途中でよく止まったりで、なぜ止まってしまうのかオヤジたちにイチイチ説明しなくてはならなかった。

今の大手企業は社内システム部門があったり(最近では子会社化やアウトソーシングしているが)その走りである。

ネットワークSEの部門に行ってからは、社内向けの仕事が100%となっていた。

が、これはこれで面白かった!!

儀式のパソコンが起動が終わった後は、見積作成である。

見積作成はまだExcelなどではなく表計算ソフトはLotus 1-2-3であった。

Lotus 1-2-3の表計算ソフトをまねてマイクロソフトがExcelとしてリリースしたのがWindows95時代になってからの話でそれまではLotus 1-2-3の時代だった。

今となってはずいぶんのんびりした話だが、まだそんなことが可能な時代だった。

そして業務はパソコンの理解(ネットワーク接続)→アプリの理解→次はネットワークの構築となってくる。

ここでも、社内システム的な対応で便利なお兄ちゃん化してきた私は、起動しないパソコンを面倒を見ながら、オヤジ様たちと交流し、また協力会社という微妙なポジショニングで後輩どもの仕事を作って、出向人数を増やすことに成功する!

要は事業拡大だ。

そして協力会社が出向先の会社に便宜を図る。

出向先のオヤジ様との距離を縮める一番のツールは飲みだ。

幸い私は酒がめっぽう強くはないが、かなり行けたため、ずいぶんと飲みに行った。

同年代の出向先の社員が薄給でオヤジ様との飲みを断るような状況なのに会社の金(接待費)でオヤジ様を飲みに誘いオヤジ様の機嫌取りをしているのだから同年代の社員からウザがられた。

この件は後々、ボディーブローのように自分に降りかかってくることになるが、まだまだ先のことだ。

会社は会社でビジネス拡大のためと言って出向先の課長と大事な要件を聞き出さなくてはいけないからと、接待費を使うことは制限しなかったのも良かった。

出向先でのポジションがどんどん大きくなってきた。

そうしていくと今度は、あれにチャレンジしてみない?これやってみない?と声をかけて頂き面白いようにどんどん仕事の幅が広がっていく。

最初は社内システムの仕事だけだったのが、あこがれの企業のネットワークにも参画できるようになっていた。

最初は小規模のネットワークから、だんだん大企業も出来る様になってきた。

まだ企業のネットワークの主役はWindows ネットワークによるデータ通信ではなく音声系のネットワークの時代だった。

音声系ネットワークはオヤジ様達の得意分野で電話の世界(構内PBX)が分からないといけない。

幸い私は、オヤジ様とのコネクションが夜の付き合いを通じてあったので、ここでも出向先の若手社員が聞けない環境の中、社内の橋渡し的な役割を果たすことになる。

面白いように仕事が増えていき、後輩がどんどんついて若手のリーダーにまでなって、出向先のオヤジ様からは30歳前には課長かなんて声も聞こえてきて調子に乗り始めていた。

そしているうちに時代はWindows95発売の1995年になる。 

【つづく】

タイトルとURLをコピーしました