第4話 失踪の後始末

A君がいなくなった。

A君は都内の安アパートで独り暮らしをしていた。

1992年当時は、携帯など一般的ではなく連絡手段は固定電話しかなかったし、一般庶民が携帯など持つことは夢のまた夢。

私はプライベート用にポケベルを持っていたが、A君は持っていなかった。

そのため連絡手段は家電に電話するしかないが会社に聞くと何度連絡しても出ないらしい。

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A君の家に行く

会社の総務のお姉さんに電話してもA君電話出ないんですよね~の一点張り。

自分の会社にいる先輩に相談すると「家に行ってみれば?」と言われた。

なんで俺?という気持ちはあったが、出向先の人たちからは毎日聞かれるし、いい加減ここらへんで本当のことが知りたかったのでA君宅に行くことにした。

会社の先輩にA君の住所と電話番号を聞き(今やったら個人情報保護法もあるからアウト)A君のアパートに向かった。

都内の下町にあるA君のアパートは最寄り駅から徒歩15分ほど歩いたところにある木造二階建ての築年数20年以上経過しているようなボロアパートだった。

まだ就職仕立てだったし、家賃は5万するかしないかだろう。

その当時、埼玉の実家からぬくぬくと通っていた私には想像できない住環境だった。

2階の一角にある彼の部屋に行くと電気はついていなかった。

今だったら携帯に電話すれば済むことだが留守はしょうがない事だ。

当時の対処法は、ただ待つだけ。

人一人捕まえるのになんの生産性もない。今考えると無駄な時間だ。

仕方がないので、アパートの階段に腰を掛けボケーっと待つことにした。

しかし、一時間待っても帰ってこないためその日は諦めることにした。

それから、3日ほど会社帰りに毎日寄ることにした。

どうせ港区から埼玉の自宅に帰る途中だし寄り道をしたと思えば何ということもない。

それよりも何よりも会社を無断欠勤を4日連続しているA君が許せなかった。

そして4日目、とうとうA君の部屋の明かりがついているところに遭遇する。

俺会社辞めるわ

A君の部屋の明かりがついていることを確認すると私は部屋のチャイムを連打していた。

A君が出てきた。

A君:「おおーヒロちゃんどうしたの?」こっちが聞きたいから来ているのだ。

私 :「会社休んで何やってるの?連絡もしないで」

A君:「まぁ立ち話もなんだし中入ってよ」

と言われ中に入ってさらにビックリ!!出向先の社員のB君がいるではないか。

彼も同い年で今年の新人であるが、私たちとは立場が違う。

大学を出て世間が認めるような会社、B君は出向先の会社の社員なのだ。

以前からA君は他の部署の社員と飲みに行ったりしていたのは知っていたが、何でA君の家にいるんだ?説明はA君からされた。

俺とB君は会社辞めるよ。もう決めたんだ。

このまま勤めてたって先が見えているし俺には合わない。

それよりも、アムウェイって素晴らしい会社があるんだ。

日本に流通革命がおこるし、やったらやっただけお金になるし、みんなで成功したい。

話を聞けばB君も考えは同じでもう退職願を出し、受理されたそうだ。

B君は会社の独身寮に入っていたため、会社を辞めると独身寮から退出しなくてはならないため、ここ数日は軽トラックで夜な夜なA君のアパートに荷物を運びこんでいたのだ。

どうりで毎日通ってもいないわけだ。

それから2時間ほどA君とB君から延々とアムウェイが如何に素晴らしいシステムで素晴らしい会社かを熱弁され、最期には私まで勧誘を受けた。

話を聞いても全く理解できなかった。

週末にはサークルのような女の子たちとバーベキューに行ったりドライブに行ったり楽しいようであるような話を聞いた。

内容については理解が薄いと誤解を生むので割愛するが、以下引用のようである。

 

引用:ウィキペディアから引用  アムウェイ

日本アムウェイ本社(東京都渋谷区)

アムウェイコーポレーション(Amway Corporation)は、家庭日用品等を連鎖販売取引で販売する企業である[5]。アメリカ合衆国で1959年に設立された。創業者は、リッチ・デヴォスとジェイ・ヴァン・アンデル。ミシガン州グランドラピッズ東郊のエイダに本社を置いている。この2人の企業家は、個人が少ない資金でIBO:独立自営業主になり、アムウェイが扱う日用品、化粧品、サプリメントなどを、メンバー登録するとメーカー直販で購入でき、かつ製品を気に入った愛用者が、企業が通常「宣伝広告費」においてる売上の一部を、マスコミを使わず「口コミ」で製品を流通させると、その宣伝費を個人がボーナスと言うかたちで受け取る事が出来る仕組みを創りあげ(アフェリエイトフィーが近いモデル)[要出典]、現在では、約世界100の国と地域に広がり、世界で300万組以上のIBOが活躍している。日本には、日本アムウェイとして1979年に参入し、1999年に無借金経営で自社ビルを設立した[6]。

話は完全に平行線だった。

B君の同居は意外な展開だったが、大人が決めたことなのだから考えるのはやめた。

それよりも、明日からA君の説明を周囲にしなくて済むと思うと気が楽になった。

明日、会社にはA君本人から連絡させよう。

A君が辞めたせいで

結局、出向先の社員までを巻き込んだA君の失踪騒ぎはこれで収まった。

A君から会社には翌日連絡があり、退職に向けた手続きが開始された。

辞めるとなったら会社はドライである。

淡々と手続が済んで、もう誰も止めやしない。

どうやら私の所属する会社は、A君が抜けた穴を(大した穴ではなかったが)出向先の会社からどうするかケジメを付けるよう言われたようである。

私は目の前のタンコブ(A君)が居なくなったので、スッキリ仕切り直しである。

何にしてもケジメをつけるのは会社側であり、新人の私には関係ないと思っていた。

ところが、関係大ありだった。

会社側で考えたのは私を巻き込んだ形のリカバリープランであった。

どういうことかというと私が責任をもって構築してきたデータベース入力は私の下に女子社員をつけ女子社員が入力し私はチェックするだけ。

私はA君がやっていた業務(設計のお手伝い)を引き継ぐというものだ。

女子社員といっても年齢は35歳。当時まだ私は22歳。

新人の私が指示するのもおこがましい話ではあるが、やらなくてはいけない。

そしてA君のいなくなった後のリカバリー作業が女子社員と二人三脚で始まった。

1年ほど無我夢中で作業し、ようやく女子社員も私が言わなくても自分で考えて作業できるまでになっていたし、A君の抜けた穴を出向先の社員と一緒に作業したお陰で信頼関係が生まれ私のもとにはいろいろな情報が集まるようになっていた。

出向先の社員同士では先輩は後輩が自分の将来を脅かす存在になるから、肝心なところでは一歩線を引く。

だから後輩の社員よりも、外様の私の方が人間として付き合いやすいのだ。

そういった出向先の先輩は飲みながら愚痴を聞いてあげると、会社では話せない情報(人事など)をどんどん教えてくれるようになった。

なので年上の出向先の社員から可愛がられていたし、人事については耳年増になっていた。

 

プレイべートは充実していたが、仕事はレベルの高い仕事は与えられず不満だった。

協力会社の社員には残念ながら、ハードウェアの重要な設計までは任せられないのだ。

仮に任せるとしても私のような協力会社の人々ではなく、子会社の社員(資本関係がないとだめ)で優秀な人材が勉強のため2~3年出向で来る場合がある。

設計を任せるのはこの手の人材のみだ。

私のような人間に任せられるのは検証作業やトラブルの再現テストなどのお手伝いだけだ。

設計部にいるのに内容は設計とは程遠い内容だった。

自分の立場を考えたら仕方のないことかもしれないが、将来が不安だった。

気が付いたら入社から1年半が経過していた。

自分のこれからを考えるとこのまま出向先でみんなと仲良くやるよりも、違うところで勝負した方が良いと思った。

時は既に、1993年に差し掛かっていた。

そして私は行動に出た。

会社の上司を呼びつけ「僕会社辞めます!!」と言った。

【つづく】

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