第2話 就職時代

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なってったってバブル

1992年の世の中は、バブル(1991年3月~1993年10月:出典ウィキペディアより引用)が弾けた影響でこれから時代が沈んで行くことも知らず、まだバブルの余韻を残しそれでも景気はそれ程悪くなかった。

そんな中で、就職は今に比べれば求人も絞られているわけでもなく普通にあった。

そんな呑気な時代、私は就職した。

特に学歴がなく、大学にも行けず人生を試行錯誤していたあの頃。

一から大学受験にチャレンジする頭もなく結局選んだのは、専門学校だった。

専門学校では電気屋を目指すため、家電修理を勉強する学科に進学した。

あの頃の自分に会えたら言ってやりたい「無理するな!!」と。

そして就職活動

就職は、最初の「町の電気屋になりたい!!」という最初の信念は見事に揺らぎ、結局電気屋に必要な資格「電気工事士」を取らなかった。

専門学校に入る前にバイトしていた電気屋さんの社長の家を見て思ったのだが、高度経済成長期に電気屋で財を成して大きくなった人が電気屋を維持するのとこれから「電気屋さん」を目指して丁稚奉公からスタートするのでは全然時間軸が違うからだ。

これは医者の子供でないと医者になっても開業するまでに、費用と時間がかかって結局開業できればラッキー、できなければ勤務医になってしまうのと一緒の理屈だと思う。

何故かと言えば、親の店舗がある人は最初から強いし、そうでないと修行から始めなくてはならず丁稚奉公からとなってしまうからだ。

専門学校の同級生には「街の電気屋」の跡継ぎの子供ばかり。

ただし時代は家電量販店が頭角を現し始めた時代で(コジマvsヤマダが全国に出典攻勢を開始)のため、町の電気屋など成立しないと思っていた。

それでは、どこに就職するか。重要な選択である。

持っている資格は「陸上特殊無線技士」「第2級海上特殊無線技士」「航空無線技士」。

持っている知識は家電修理の技術と当時専門学校にあったパソコン(当時はWindowsが発売されていなかった)MS-DOSの若干の知識だけ。

選択肢は2つしかなかった。

①メーカー系の修理(サービスセンター)への就職

②卒業生が就職している中小企業に就職

当然①は松下電器(現パナソニック)、東芝、日立などの家電メーカーやオムロン※などが元気で募集を拡大していた。

 ※オムロンが元気だったのは当時、自動改札の機械をJRに納入していたから。

しかし学歴社会は確実に存在していた。

理系の大学卒業者は、総合電機のメーカー本体に就職できるが、専門学校卒ではメーカー系の名前はつくが修理(サービスセンター)しか就職先はなかった。

サービスセンターに配属される自分が容易に想像がついた。

それは学校に入る前町の電気屋さんでアルバイトをしていたときに、お客さんの修理品をもってサービスセンターに出入りしていたことがあったからだ。

その時感じたのは、サービスセンターは窓口業務かお客様宅に修理で訪問するのがメインだったので(それ以外の仕事もたくさんあるが)先が見えていた。

若かったし、自分の立場もわかっていなかった私は人が設計し売ったものが故障し修理することをプライドが許さなかったのだ。

自分は大したことないのに・・・

そのため①メーカー系の修理に行く選択はなかった。

残るは「②卒業生が就職している中小企業」になるが、推薦してもらえるほど成績は良くなかったし、できれば中小ではなく大企業で働いてみたいという超わがままである。

そんな理由から就職選びは難航した。

その中から私が選択したのは、規模は小企業だが専門学校の卒業生が社長で取引先の大企業へ出向するという会社だった。

これならば大企業で働ける、そう思ったのだ。

給料の条件も悪くないし社員という立場もあり親兄弟にも面目が立つと浅はかな考えだ。

まだ若かった。

今でいう派遣会社に相当する会社だが、当時はまだその様なジャンルの会社が定着していない時代だった。

とにかく、これで就職先が決まった。

【つづく】

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